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千葉氏を巡る冒険(その3)

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さて、こちらは千葉神社です。
千葉神社と称したのは、明治に入って「神仏分離令」が出されてからのこと。それまでは、北斗山金剛授寺だったそうな。千葉氏宗家は代々このお寺で元服をしていたそうで、また源頼朝が千葉に入ったときには、千葉常胤の案内でこの寺を参拝しているそうです。
この千葉神社は妙見本宮として、妙見信仰の中心地となっているのですが、これは、古代バビロニアからはるばる日本まで伝来した北極星を祀るものだそうです。千葉氏にまつわる伝説で、先祖の平良文が窮地に陥ったとき、空から星が降って来て、それに力を得た良文は戦で勝利する事が出来たというものがあります。千葉氏の妙見信仰のルーツは、この伝説にあるそうです。ちなみに、この空から降って来た石は現存しており、佐倉の勝胤寺にある「千葉石」というものなんです。ほんとに、空から降って来たかは分かりませんけどね。

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お次は、君待橋の碑です。
いまは道路になってしまっていますが、千葉市中央区港町あたりに、都川に注ぐ小川があったそうで、そこに架かっていた小さな橋を、君待橋と呼びます。この名前の由来は、諸説あるようですが、例えば・・。
源頼朝が千葉を訪れた際に、千葉常胤一門がこの橋のたもとまで出迎えに出た。そのとき、頼朝がこの橋の名前は何かと問うと、常胤の子、胤頼が「見えかくれ 八重の潮路を待つ橋や 渡りもあへず 帰る舟人」と和歌を詠んだのが村中に知れ渡り、「君待橋」と呼ばれるようになったとか。
これ以外にも、川を挟んで住んでいた若い男女同士の悲恋の言い伝えなんかもあります。このような言われが残っているってことは、やはり人々の心に刻まれるような出来事が、何かしらあったということでしょうね。

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そして、最後は稲毛区轟町にある「大日寺」です。
ここは元々、千葉神社の隣にあった寺で、千葉氏の菩提寺でした。
昭和20年の千葉空襲の際に寺が焼けてしまい、戦後こちらに移転したのだそうです。ここには、千葉常兼から胤将まで、16代の墓があります。こういう墓標を「五輪塔」と言うそうです。墓碑は風化しており何が書かれていたのか全く分からないのが残念。お墓だってのに、僕はかなり顔を近づけてじろじろと見たのですが、さっぱりでした。
近くの説明板によれば、文安2年(1445年)と刻まれた、多層塔なるものもあるとか。
室町時代ですね。古い。

てなわけで、千葉氏を巡る冒険でした。
もう少し色々あるのでしょうが、率直な感想としては、殆ど何も残っていないんだね、といったところです。
戦国時代に大名として名を馳せていれば、もう少し人気も知名度も高かったでしょうに。一番活躍した千葉常胤は、平安末期から鎌倉時代にかけての人で、やっぱ今ひとつ知られる要素が不足しているのかな。僕は歴史好きだけど、鎌倉時代となると、ちょっとよく分からない感じです。戦国時代だったら関心度はぐっと高まりますが、その頃千葉氏は大名どころか、すっかり後北条氏の配下になってしまってたようですし、千葉から佐倉に本拠を移しちゃいましたし、房総の雄、里見氏にはだいぶプレッシャーかけられていたようですし、ね。
このあたりで下総の千葉氏がすっかり歴史から消えてしまったのが残念ですね。
まあ、相当物好きじゃないと、今回のような町歩きはつまらんだろうなあ。僕には面白かったけど。

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by masa-stones | 2015-02-21 22:42 | 旅情編 | Comments(0)  

千葉氏を巡る冒険その2

亥鼻城の区域は結構広かったらしく、今の亥鼻公園の後背部にある千葉大学医学部のキャンパス全体にまで及んでいたそうですよ。
この地域にあるのが、「七天王塚」と呼ばれるミステリースポット(?)です。
亥鼻城の大手口とされる付近に、七つあるこの塚は、(千葉市教育委員会の立て看板によると)「古くから疫病・災害を除く神として崇められています。塚の上の古碑に刻まれている「牛頭天王」は、千葉氏の守護神の一つで、千学集抄には「千葉の守護神は曽場鷹大明神、堀内牛頭天王云々・・」と記されています。このことから千葉氏は、猪鼻城の大手口に崇敬する北斗七星の形に七つの塚を配置して牛頭天王を祀り、一族の繁栄を祈ったものと考えられています。また一説には、この七天王塚は千葉氏の七人の兄弟を葬った墓であるとか、平将門の「七騎武者」の墓とも伝えられていますが定かではありません」とのこと。
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一つ目(千葉大キャンパス内)
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2つ目(病院通り側)
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3つ目(病院通り側)
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4つ目(千葉大キャンパス内)
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5つ目(千葉大キャンパス内)
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6つ目(千葉大キャンパス内)

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7つ目(千葉大キャンパス内)

よそのサイトを見てみると、空中写真にロケーションを落としている画像があったりします。なるほど、確かに北斗七星のように配置されています。

ちなみに、昔からこの塚に生えている樹木を切ろうとしたりすると、必ず祟りがあるとされていて、地元民からは畏れられているらしいです。
確かに現地に行ってみると、これは何かあるな。。。という気分になりますよ。





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by masa-stones | 2015-02-21 21:42 | 旅情編 | Comments(0)  

千葉氏を巡る冒険その1

僕の職場があるのは千葉。
よく歴史の無い町だと揶揄されるが、・・・いや、確かに目を惹く歴史は無いのかもしれない。でも、連綿と人が住み続けて来た町であり、歴史が無い訳ではない。
と、そんな千葉のアイデンティティの一つであり、大治元年、1126年に千葉という都市が出来たきっかけを作った、中世の武家である千葉氏を巡る冒険に出掛けました。
スタートはこちら、千葉城・・・なんて言うのも恥ずかしいが、この天守閣風の建物は、千葉市郷土博物館。千葉常重が、大椎城から居城を、この亥鼻に移したのが、千葉の都市の始まりです。ここは平地より20mくらい盛り上がった台地であり、長らく、千葉氏はこの亥鼻城を根拠地として活躍をする訳ですが、最近では、この亥鼻ではなく、現在の千葉地方裁判所あたりに居館を構えていたのでは?と考えられているとか。
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この騎馬武者は、千葉常重の子、千葉常胤です。
この人が、千葉氏の中では多分一番知られているのですが、それでも他の歴史的人物に比すると、かなりマイナーですね。
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郷土博物館にある、千葉常胤の木像。
この方の肖像画は無いので、本当はどんな顔をしていたのか分からないそうです。
さて、この千葉常胤というのは、鎌倉幕府の成立に深く関わった人とされています。と言うのは、伊豆で挙兵した源頼朝が、相州石橋山の戦いで破れた後、海路安房へ逃げ延び、再起を図るべく武士に協力を呼びかけた際、即応したのが、この千葉常胤なのです。その後、頼朝の合戦で数多く活躍し、関東の一地方豪族だったのに、頼朝の信頼を得て従軍し続けた結果、鎌倉幕府では大御家人として活躍をしたのでした。源頼朝は、常胤を父のように慕っていたのだそうな。

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こちらは、「お茶の水」。
現在の亥鼻公園の大和橋側の入り口付近にあります。
これは、源頼朝が亥鼻城に来た際に、千葉常胤がこの湧き水を使って茶を立て、頼朝に振る舞ったと言われています。いまは、もう湧き水は枯れてしまっているようですね。ちなみに、平安時代末期は、まだ日本には茶が無かったそうなので、これは作り話ということなのでしょうが、もしかすると湧き水そのものを振る舞ったのかもしれません。

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ひとつ面白かったのは、先にも触れましたが、実際に千葉常重がこの亥鼻の地に館を構えたと言われているのですが、実際にどの場所だったのかは分かっていないそうです。一応この亥鼻の丘は、亥鼻城址とされているのですが、12世紀頃の城郭の痕跡は何ら見つかっていないんですって。とは言え、土塁や空堀の跡が見られるのも事実。どういうことか??この城跡は、戦国時代16世紀頃のものではないかと推定されているそうな。となると、16世紀にはすでに千葉氏は佐倉へ本拠地を移しているので、千葉氏の城ではなかったということか。
また、この亥鼻の丘は、古くは弥生の頃から人が生活していた跡が見られるようですが、結構人骨が多く出ているとのことで、周囲に寺院が多いことから、一種の聖地的な場所とか、墳墓地として使われていたとも考えられているらしい・・・。
ふーむ、面白い。

千葉氏宗家が、1126年から1455年まで、約300年にわたって居を構えた亥鼻。
往時を忍ぶものは、残念ながら何も無いんですね。

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by masa-stones | 2015-02-21 21:05 | 旅情編 | Comments(0)  

一体感

なんか、妙な一体感のある、金曜日深夜の山手線。
なんなんだ、このシンクロ感。
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by masa-stones | 2015-02-21 00:10 | 由縁 | Comments(0)  

総員、右へ倣え!

あれ?
マスコミ報道が、一斉に「イスラム国」を、「ISIL」に切り替えましたね。
米英に足並み揃えたな。

・・・、ああ、自民党が報道各社に申し入れした結果なんですね。
多分、この言い方が適切でしょう。


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by masa-stones | 2015-02-11 00:18 | 時事論 | Comments(0)  

なんか、アンフェアだよね。

同じようにイスラム国に拉致されて殺害されたってのに、マスコミ報道における後藤さんと湯川さんの扱いの差は、あまりにも甚だしい。
どうも後藤さんは、共感を得るような角度の報道が多いので、日本だけでなく世界からも、同情される存在になっていったようだ。一方で湯川さんは、ほとんど報道されない。あるいは、無視されてるかのようだ。この差は、きっと後藤さんがジャーナリストだから、と仮説をたててみる。

こういった悲報を主に報じるのはマスコミであって、マスコミ、特に報道に携わってる人間は自分たちはジャーナリストを自任してるはず。
だから、いわば同胞が犠牲になったからこそ、余計に反応したくなるのではないか?
行くなと言われたのに、イスラム国の勢力下に入った無謀さは、後藤さんも湯川さんも、同じ過失だ。だけど、報道スタンスは「ジャーナリストには悲惨な現状を伝える責務がある。」「そんなマニフェスト・ディスティニーの途上で倒れた後藤さんに、深い敬意と同情を捧げる」といったところか。一方湯川さんは、軍事マニア的なバックグラウンドから、「同情の余地なし」と言わんばかりだ。

偏った報道、右へ倣え的な画一さ、自分たちは正しいという過剰なまでの思い込み、本当にこの国のマスコミは、レベルが低い。

と、いつもの持論に至る。あーあ、結局それかい。んー、我ながら、ワンパターン。

・・・そこで、だ。本件に関する大衆向け週刊誌の活躍を祈る。

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by masa-stones | 2015-02-07 12:09 | 時事論 | Comments(0)  

純米吟醸 ぎんこまち

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純米吟醸ぎんこまち
口に含むとふんわりとまあるい感触で、お米の味が広がる。日本酒度+2.0なので、やや辛口らしいけれど、僕には甘口に感じられます。米の風味のコクがありますね。うまいです。


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by masa-stones | 2015-02-01 23:23 | My Favorite | Comments(0)