人気ブログランキング | 話題のタグを見る

信州ツアー(川中島)

今回の旅行の目的は、ここでした。川中島古戦場です。
信州ツアー(川中島)_c0150209_17324423.jpg

子どもの頃から、大の武田信玄ファンであるワタクシ。以来、もう20年来の念願がようやくかない、ここ川中島古戦場、八幡原へと来る事が出来ました!感動!
そう、この近くには何度か来た事がある訳です。信州へスノボに来ると、時々この辺をバスが通過したりしたんですよねー。
信州ツアー(川中島)_c0150209_17365195.jpg
ここで、約450年近く昔、甲斐の虎、武田信玄と、越後の龍、上杉謙信が、死闘を展開したのでした。北信州の覇権を争ったこの戦いは、歴史的に見れば、決して日本史上重要視されるものではない、局地的な戦いでしか無いようですが、なぜそんなに人々に語り継がれているのか。
それは第4回川中島の戦いの、信玄と謙信の一騎打ちがあったからでしょう。
どう考えても、後世の創作なのでしょうが、両雄が八幡原で激突したこの戦いの凄まじさが、そのような伝説を生んだのでしょう。
川中島に陣を構えた両軍、にらみ合いが続く中、武田軍の軍師である山本勘助が、啄木戦法を考案。信玄は、兵を二手に分け、本隊を八幡原に、別働隊を上杉軍が陣を構える妻女山に差し向け、深夜の暗闇に紛れて敵の虚を突き、慌てて山を下りてきた上杉軍を本隊が迎え撃つという、挟み撃ちを図りました。
しかし、武田軍の奇襲攻撃を察知した上杉軍は、先回りして陣地にしていた妻女山を下ります。上杉軍が慌てて山を下りてくると待ち構えていた武田本隊。夜明けになり、八幡原に立ちこめていた厚い霧が晴れ渡ったとき、目の前に展開された上杉の大軍を前に、武田軍は愕然とします。上杉軍に逆に虚を突かれる形となって、戦いの火ぶたが落とされました。
次第に劣勢になる武田軍は鶴翼の陣形。上杉軍は車懸りの陣で、次々と新たな部隊が現れ、武田軍を揺さぶりました。武田信玄の本陣に迫る、上杉軍。失策の責任を取り、山本勘助は上杉軍との戦いに挑みます。そして、武田の副将である武田信繁も、大将である信玄を守るため、自らの名前を大声で叫び、敵を引き付けながら敵陣に切り込んで行きました。信玄は、配下の武将を信じ、自らは動かず、ひたすらに別働隊が戻るのを待ち続けました。
信州ツアー(川中島)_c0150209_17551562.jpg静まる武田本陣。そこに白馬に跨がり突撃してきたのが、上杉謙信でした。
どっしりと戦況を見据え、床机に腰掛けていた武田信玄に、謙信は三太刀斬りつけます。これを信玄はとっさに軍配で防ぎました。これが有名な一騎打ちで、謙信は三太刀斬りつけたとされますが、信玄が持っていた軍配には七太刀を受けた跡が残ったと言われています。
その後、高坂昌信率いる別働隊が八幡原へ到着、上杉軍は挟み撃ち、武田軍の優勢となり、夕方までには兵を引き上げて行く事となりました。

と、ついつい、長々と書いてしまいましたが、昔々、学習まんがシリーズ「武田信玄」を読んだ小坊主が、おっさんになって、その漫画の舞台を訪れた、そんな話だったのでした。

ここでは、当時7000人近くが戦いで命を落としています。
八幡原史跡公園には、武田軍の高坂昌信が戦死者を手厚く葬ったと言われる首塚がありました。戦死者の冥福を祈りつつ、約450年前の合戦に思いを馳せるひと時となりました。

で、ここに来たワタシは相当目をキラキラさせていたようで、妻はそんなワタシを見て「良かったね〜」と笑っておりました。
感慨深い時間でした!

by masa-stones | 2010-12-25 18:02 | 旅情編 | Comments(0)  

<< 時代 信州ツアー(戸隠) >>